いま、さいきん、自由だったころのわたしに近い感覚です
と書いてみて思うのは、結局いつも自由だったということ
自由のベクトルを選ぶか
自由のベクトルにNO!と言うか
それだけ
それも自由の、受容の中にあるね
視力落ちた裸眼のまま感覚でバレーボールして
ぜんぜん自主練習しなくて
目見えないからレシーブとか超へたくそで
でも勘と手の長さとジャンプ力と持久力はあって
気分にムラがあるのが欠点とか
目がはなれてるのがチャームポイントとか
おいおい、傷つくぜ?ってことも
なんかよくわからないままに
笑ってスルーしてきた
一切流れに逆らわないというか
何も考えてないだけというウワサも
ほんとうに世界の認識がガラス越しというか
何かにくるまれてるというか
守られていた
自由にやったらいいよって感じで
わたしはいつも自由で
いつも守られている
人間というのはそういう存在なのよ