改めて他界した父

 

2020年3月26日

わたしは父を見送った

とても穏やかになくなった

 

父はすでに5年前に他界している

5年前は父がどういう状況で死へ向かっていったのか

そして亡くなったのか知るどころではなかった

 

それがいつからかそれともずっとなのか

父はよく夢に現れた

そして先日改めて他界した

 

 

わたしが認識できる範囲でどう思おうと

目に見えないものがたりは展開し続けている

これが生きていておもしろく愛おしい部分

わたしはこの部分をのびのびと展開させていくことに興味がある

 

 

展開にしたがって、わたしはくまのぬいぐるみを購入した

1年くらい気になって、珍しくさっと買えなかったくまちゃん

最高にかわいい‥

 

くまのぬいぐるみは、父がわたしの誕生日に

毎年買ってくれたもの

たぶんわたしの魂の転換点である7歳くらいまで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーダ

 

 

かぐやさんと時を同じくして

左脚とも交流をはじめた

 

彼の名はヨーダ

 

スターウォーズを知らないわたしも

あの緑の‥ということはわかる

 

先日「ヨーダみたい」と言われるという人に会った‥!

ヨーダとはどういう存在かさらりと説明してくれた

「古くからの情報を持っているコマンダー

というような解釈だった気がする

 

 

青年かと思えば野生動物になり

そしてころころの犬っころになったり

わたしのヨーダはいまのところ姿が定まらない

 

 

ふたりともよろしくね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かぐやさん

 

わたしの右脚はかぐやさんという

姿はまだはっきりとせず、言葉もまだ交わせない

ただ表情はにこにこしてるのを感じる

 

かぐやさんと交流をはじめてたぶんひと月くらい

 

いろんなことが高畑勲さんにつながって

高畑勲さんから流れ出てゆく

 

見れば見るほど

知れば知るほど

愛おしく悲しく感情がゆれる

知っている と思う

 

 

 

 

 

 

 

再生

 

すこしまえに

あれ?わたしってなんだったっけ?

と感じる瞬間があった

 

いま存在しているということ以外

全部が瞬間的に空白になってからというもの

自分が自由を感じていたときのことが

日々どんどん蘇っている

 

好きだったこと

見ていたもの

感覚

 

こんなものは何にもなりはしない

感じている場合ではない

わたしは先に進まなければならないのだと

よろこんで手放したものたちが

「好きだったでしょう?」

「こういうこと感じてたでしょう?」

とふたたび呼びかけてきている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新米です

 

「新米です」のことばに

つやつやのぴかぴかのふっくらとしろいごはんを想像して

ひとりでうふふと思うのもいい

 

まだまだ新米でして‥

いつまでたっても新米気分で‥

 

ほめられてるわぁ